2007.11.03

父の思いを乗せて、50年前のピアノが大活躍。  素敵なミドルエイジ

☆ 時代を越えて ☆

父の十三回忌があり、故郷に帰りました。
本当に久しぶりの里帰りです。
親不孝者のヤマセツは・・・
父の墓参りもせず、10年近くを過ごしておりました。

故郷は遠くにありて思うもの。。。なんて、
勝手なことばかり言って、帰ることのなかった故郷。

久しぶりに会う甥っ子達が驚くほど大きくなり
兄の背中もいつの間にか、小さく丸くなっていました。
そして、父の仏壇の前には
”セピア色のピアノ”がありました。

この”セピア色のピアノ”
ヤマセツがまだ腕白お嬢ちゃんだった大昔・・・。
ご近所にもピアノなど殆どなくて珍しい頃に
若くて元気だった働き盛りの父が、
『清水の舞台から飛び降りる』ような決心で
ヤマセツのために買ってくれたものでした。

初めて我が家にピアノが来た時のことを
今でもはっきり覚えています。
小さかったヤマセツは、その大きさに驚き
同じく小さかった兄たちは、すぐにても触りたくて
運送屋さんの周りをウロウロして叱れていましたっけ・・・。
ご近所の人たちも、たくさん見に来てくれました。
まさに・・・『ALWAYS三丁目の夕日』の世界ですね。

多分、父は・・・、
幼い娘のために高価なピアノを買ったのではなく
妻である母の望みを叶えるために
そのピアノを買ったのだろうと・・・父の墓前で
ふと、そんなことを思いました。

■戦前・・・・・文学少女で育った母。
■戦中・・・・・苦労して幼い兄弟の面倒をみて。
■戦後・・・・・顔もみたことのない父のところに嫁ぎ
■そして・・・・苦労して私たちを育てていました。

だから、少しだけ暮らしが楽になった時
父は、苦労ばかりかけている妻が
自分が果たせなかった夢を
幼い娘にあれこれ託す姿を見て
母に夢を見させて上げたったのではなかったのだろうかと
ふと、そんな風に思えたのです。

残念ながら、腕白お嬢さんのヤマセツは
あっという間に母の夢を打ち砕き
ピアニストにはほど遠い世界で暴れてばかりいました。

しかし、この”セピア色のピアノ”
今では小学5年生の甥っ子がしっかり受け継ぎ
ピアノのレッスンに励んでいます。
小さな手で、難しい曲を弾いてくれました。

毎年、手入れをして下さる調律師さんにも
『これは、価値のある立派なピアノです。まだまだ使えますよ。』と
太鼓判を押されているそうです。

父の十三回忌に父が引き合わせてくれた
”セピア色のピアノ”
父の思い、母の思い、兄達の思い
そしてヤマセツの思い・・・
たくさんの思いを美しい音色に乗せて
今日も大活躍しています。

父さん、母さん、兄さん、そして甥っ子君。
ピアノを大切にしてくれてありがとう。
感謝の気持ちでいっぱいです。


2007.11.03 PM 8:23

コメント

 
アビリティーセンターの人材育成 コーナートップへ戻る